4 檜原村のうつりかわり
 (2) 仕事のうつりかわり

 村の人の仕事がかわってきたことを知り、どうしてかわってきたのか考えてみましょう。

 あきら君は、炭をやく人が大きくへってしまったことを先生に話してみました。すると、たかし君が、
「ぼくのおじいさんもむかしは炭をやいていたらしいです。でも、お父さんは(しも)に出て工場につとめています。」
と、大きな声でいいました。
 どうやらあきら君のクラスでも家の人の仕事がむかしと今ではちがっているようです。
 そこで、3年生にアンケートを出して、お父さん、お母さんの仕事、おじいさん、おばあさんがわかいころの仕事をしらべました。

むかしと今の仕事しらべ
昭和62(1987)年12月 3年生アンケート
(しゅう入をえているしごとのみ)









 「むかしと今の仕事しらべ」をまとめて、あきら君は、むかしと今との仕事のちがいがはっきりとわかってきました。そこで、このグラフを見て、気がついたことをまとめてみました。すると、いろいろなぎもんも出てきました。

あきら君のノート
むかしと今の仕事しらべをして
★・・・わかったこと  ?・・・ぎもん点
おじいさんが山や畑で仕事をしていた人がとても多い。
その中のほとんどの人はすみやきをしていたのかな?



山・はたけ 工場 土木
けんせつ
お店
りょかん
その他
昭和35年(1960年) 1060 324 205 331 112
昭和40年(1965年) 751 414 228 402 204
昭和45年(1970年) 530 605 304 471 242
昭和50年(1975年) 223 540 273 545 315
昭和55年(1980年) 210 537 258 589 283
昭和60年(1985年) 104 554 227 670 201
平成2年(1990年) 124 488 226 745 229
平成7年(1995年) 96 511 227 740 79
平成12年(2000年) 45 136 166 206 495





 村の人の仕事のうつりかわりのしりょうを見ながら、どうしてこんなに仕事がかわってきたのかを考えてみましょう。家の人や村のおとしよりの話を聞くのも、よい方法ですね。

(みん)宿(しゅく)「大石」のおばさんの話
 (ゆう)(りょう)道路ができるまで(昭和48年)は、山崎屋、()(とう)(そう)、たから荘の三けんが旅館であった。有料道路ができて2〜3年の間に、民宿にきりかえる家が多かった。それまでは(りん)業(おもに炭やき)、こんにゃく作り、おかいこなどをかっていた。


炭やきをしているところ
(小岩)




檜原村で(りん)(ぎょう)がさかんだったころ
(むかし、山仕事をしていた人の話)
 (ざい)(もく)(かん)(けい)のしごとをする人を()()()()(山人)といい、炭やきのしごとをする人を()()()()(窯人)といった。(しゅう)(せん)(しょく)()、売ればねだんもよかったから、木ならどんな物でも植えた。しかし、材木の仕事をする人は、「けがと弁当は自分もち」というくらいで、雨がふっても休みなしだった。年に2回、もとじめが()()()をくれただけだった。
 切った材木は、道が悪くて()(りき)ではだめなので、川に木を流して戸倉あたりまで持って行った。川は今より(すい)(りょう)が多くて、どの谷((さわ))にも水車が回っていた。その後(しょく)(りん)(ぞう)木がへり、川の水も少なくなった。今では、山の仕事をする人がへり、炭やきの人は数えるだけになってしまった。炭やきの子どもは手伝いにいって、しごとをおぼえたから、炭やきは二代も三代も(つづ)いたものだ。
 檜原の三大(さん)(ぎょう)は、お(かいこ)(もく)(たん)(ざい)(もく)だったが、どれもだめになってしまった。





 むかし、檜原村の三大(さん)(ぎょう)は、お(かいこ)(もく)(たん)(ざい)(もく)でした。
 ところが今では、どれもさかんではありません。お(かいこ)(もく)(たん)は、ほとんどやっている人がいません。なぜ、そうなってしまったのでしょうか。(いえ)の人に聞いたりして考えてみましょう。

(かいこ)






(もく)(たん)






(ざい)(もく)









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